創意工夫・臨機応変で
大変な状況を乗り越える
最初の保育園を立ち上げたのは、終戦間もない1949年9月1日、28歳の時で、教会の建物を借りたのが出発です。私自身の実家も嫁いだ先も、女性が外に出るような家ではありませんでしたが、私には女性が社会へ出て行けるなら力になりたいとの思いがありました。若かったし、無鉄砲でしたね。
立ち上げた時は、建物を借りた教会の娘さんにもオルガンを弾けるということで手伝っていただきました。また、東京で保母経験のある方が見学に来ていた時のこと、私が「手伝いに来てくれた」と勘違いして子どもたちに紹介してしまい、本当に職員になってくださった方もいました。
私自身の子育ては、子どもを自分の園に入園させて育てましたが、息子が脱脂粉乳を飲まずに困ったことを覚えています。家では義母が子育てに協力してくれて、とてもありがたかったです。
当時について、娘からは、「よく食べて、病気は絶対にしなかった。時間があれば5分でも10分でも寝て、仕事をしていたね」と言われますが、夢中で毎日を過ごしました。
新任時代は、物もなく、保育の制度も整っておらず、役所との折衝も園運営も大変でしたが、創意工夫と臨機応変で無から有を生み出したことはいい勉強になりました。
蒲池先生の新任時代のお話「戦後、女性の社会参加とともに」は、本誌をご覧ください!