保育者様へ

フレーベル館のココだけの話

 

保育ナビ 7月号 特集 座談会 

2015/05/18

【保育ナビ】7月号特集 座談会続編をWebにて公開!

     『保育ナビ』の読者の皆様に向け、本誌と併せてご活用いただくための
情報を掲載します。
今回は、本誌特集の座談会の続編として、「こぼれ話」をWebにて公開!
「“ことば”の魅力」や「保育実習」に役立つヒントが満載です。
ぜひ『保育ナビ』本誌と併せてお読みください。

 
保育ナビ7月号好評発売中!

   本誌 P.8〜P.19 掲載

 

 

 

<座談会出席者>
荒井 洌先生(白鷗大学名誉教授)
 石井久美子先生(学校法人愛国学園 愛国学園保育専門学校 幼児教育科専任教員)
 土橋公洋先生(東京都認証保育所 みどりの園 園長)

  

本誌の座談会では、“ことば”の魅力について、先生方のご意見などをいただきました。ここでは、荒井先生の著書『保育に生きる  珠玉のことば』(フレーベル館)を参考に、子どもとの会話について、さまざまな角度から話し合っていただきました。

 

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◆ 先達が残したフレーズから 

 荒井:『保育に生きる  珠玉のことば』は、お二人にも読んでいただきましたが、これは気に入ったという言葉を紹介してくださいますか。

 土橋:アメリカのジョン・デューイの言葉です。
「成長の第一条件は未成熟である」(P.104)
「児童期を単に欠如態とみなすだけなのは、成年期を固定した標準として児童期を測定するからである」(P.105)

 すなわち、成人の成長を完成と考えるから、児童を欠如態と見なしてしまうのだという考え方。そして、実に見事な言葉が最後にあります。

「依存性に無力さしかないとすれば、発達は全く起こり得なかったはずである」(P.107)

荒井先生は、この中で「依存性」を「あまえ」と訳されていますが、私の保育園の半数は0〜2歳児なので、この「あまえ」と「依存性」の部分がとても気になりました。私たち保育者は、いつも「自立しましょう」と……。

荒井:日本の保育界では、「自立」がキーワードになってしまっている。極端に言えば、「自立」1本になっている。

土橋:そうかもしれませんね。「あなたは一人でおやりなさい!」と突き放すような、距離感のある保育が多かった。「あまえ」というセンスではなく、「認める」「受け入れる」とか……。

荒井:とてもいいことに気がつきましたね。普通なら「依存」と訳す“dependence”という言葉を、私はあえて「あまえ」と訳したんです。

 日本の保育界の1つの大きな課題とも思っているのですが、「自立」だけがよくて、「依存」や「あまえ」は悪いとするような雰囲気がありました。でも、そうではありませんよね。

 何事も、その反対概念についても検証すべきだと思うんです。例えば、「集団行動」がいいとなると、みんなできちんと並んで、左足・右足をきちんと並べることになる。マスゲームならいいのですが、朝から晩までそういう集団行動をしていたら、大変なストレスだし、耐えられない子どもは園にいるのがたまらなくなる。

だから、集団から解放されることの「よさ」も検証しなくてはいけない。社会に出ると、大人のくせに人に頼るな、あまえるなって言われます。それと、子どもがママや優しい先生にあまえるのって、全く意味が違うでしょう?

 ジョン・デューイは、あまえがなければ子どもは成長しない、と言い切っています。目を覚まさせるような見解ですね。「何々ができるようになる」といったことばかり言うのではなくて、赤ちゃんからあまえを取ったら人間として成長しない、と考えたいですね。

石井:私は、柳田国男の「遊びの伝承」のところですね。

「子どもたちは大人のさまざまな営みを目にし、ドラマティックで印象に残った行為を真似て、掛け声やリズムを添え、愉快な遊びをつくりあげていたのです。そのようにしてつくられていった子どもたち自身による遊びの世界に、大きな子は小さな子を誘い込み、小さな子はうれしさいっぱいに胸をふくらませながら遊びの輪に加わり、さらには近隣の村から村へと、少しずつ少しずつほかの地方にも伝えられていったのです」(P.46)

「子どもたちは遊びの創造者であり、演技者であり、そして伝承者でもありました」(47ページ)

という部分ですが、今の学生や子どもたちを見ていて、モノがないと遊べなくなっていると感じます。しぜんな集団での遊びが減り、遊びの伝承がなくなってきているからなのでしょうか?また、若い保育者でわらべうたを知らない人が多いと感じます。そのこともあり、うたってあげられないから、子どもたちもわらべうたの心地よいメロディーを知らないのですね。

荒井:そう思うのは普通ですが、若い人はそう言われるといじけちゃいませんか?  私は、「先生は古い!」って言われちゃって。(笑)
 

遊びをつくり出せる環境

荒井:私は思うのですけど、例えば、自然が生きている園庭なんて、まずないんじゃないですか! そこでは木鬼の遊びなんかできませんよね。
それは園庭にデザイン感覚がないというか、ちっとも面白くない。だから、若い人は伝承遊びも知らない、わらべうたも知らないっていうのは、そういう知らない条件をつくってしまっているわけだから。わらべうたを講習会で少しばかり覚えても……。

ただ、柳田国男の『こども風土記』(岩波文庫)くらいは、保育者の必読にしなくちゃいけないと思いますね。このような文化は、もうすぐ完全になくなってしまうような気がします。
そして、遊びをつくり出せるような条件を、私たちは整えなくてはいけませんね。柳田は、子どもは大きい子と小さい子が一緒にいたからこそ、文化は存続したと言っています。

土橋:うちの園では、異年齢児のミックスで、1〜5歳児までが一緒になって、園庭でごちゃごちゃになって遊んでいるんですね。
5歳児も伝承遊びは知りませんが、ただ、遊び
がつながっていくのはわかります。5歳児の遊びを、最近トコトコと歩き出したような小さな子が、一緒になってやっているんですよ。

荒井:クリエイティブじゃないものは、基本的に「遊び」とは言えません。どこかの講習会で保育者が仕込んできたものではなくて、年上の子どもが年下に教えていくようなものを、本来は「遊び」と言うんですよね。それ以外は、狭い意味での「教育」です。
子どもが「いいこと考えた!」って言うじゃないですか。その言葉が頻繁に出てこないものは、遊びとは言えない。だから、面白く遊ばせていると保育者が思っている時に、「このあと、遊んでいい?」って言われたりね。(笑)遊びが義務的な「教育」になってしまっている。そんな感じもありますよね。

土橋:保育者が教えた遊びは、やっぱり長続きしないのが多いですね……。

荒井:ぎこちないしね。今の子どもは、きょうだいが少ないから切磋琢磨していないと言われるけれど、何をかいわんや、です。ほとんどの子どもが、保育園か幼稚園などに行っているのに、だったらなぜ異年齢児をミックスしないのか。
縦に並べるか横に並べるかではなくて、ぬか味噌でよい味を出させるためにはコツがあるように、園での遊びが発酵したり、思わぬバリエーションが出てきたりするには、異年齢児同士が共に遊ばなくては……。

 

実習園は、楽しい印象で……

荒井:実習の時、受け入れ側が「こんなことも教わっていないの?」と批判することがよくありますね。養成校の先生として、石井さんはどう考えますか?
「子どもに話すこともできない」、極端なのは「雑巾の絞り方さえ知らない」とまで言われます。でも、今は身近に雑巾なんてあまりありません。モップですよね。

石井:そうですね、例えば、今は、竹ぼうきを使ったことのない学生がたくさんいます。でも、園に竹ぼうきがあっても、穂先が寝てしまわないように掛けておくことを知らない。そういう学生を私も送り出していて、実習園の先生からは、「お掃除がきちんとできませんね!」と、時どき言われてしまいます。でも、それは時代がつくり出してしまったこととも言えますよね。(笑)

荒井:私は、石井さんがおっしゃったことは、ごく普通の感覚だと思うんです。今の子ができないのは当たり前。だって、実体験がないんですから。
私は、現場の方も、養成校の方も、そろそろ心を入れ替えるべきだと思います。「できない若い人を軽蔑するな!」と言いたい。
実習とは何かというと、現場の人の保育をたっぷりと見せてもらって、たっぷりとエンジョイすることです。
「うちの園にご縁があっていらっしゃったんですから、保育をいっぱい楽しんでください。雑巾の絞り方でも何でも聞いてください。できることは、徹底的にお教えいたします」。そういうふうに切り替えていかないと、私はダメだと思っています。
担当の官庁が消化不良になるほど科目を与えておいて、雑巾も絞れないって、絞るチャンスがなかったんだもの。そんなのは、実際の生活の中で少しずつ身に付ければいいことですよ。

石井:そのように受け入れてくださると嬉しいです。(笑)そのためには、現場の先生方にも、保育を目一杯楽しんで欲しいと思いますね。

荒井:私、先生方のおじいちゃんからの意見です。(笑)土橋先生は、私の息子くらいの年齢ですよね。息子の世代の園長先生、どう思いますか?

土橋:本当に、そう思います。(笑)

 

◆『保育に生きる  珠玉のことば』

土橋:うちの職員を見ていると、明日何かしなければいけないとなると、まずは参考になる本を開いていますね。

荒井:何をやるか、メニューやレシピを見るのね。

土橋:はい。明日、役に立つような保育のメニューは、確かにそこに載っています。
逆に、『保育に生きる  珠玉のことば』は、明日すぐに役立つものではないと思うんです。いろいろなキーワード、「優しさ」「ゆったり」など、すごく身近にあるのに気づかない言葉がたくさん出てきます。
専門的な用語ばかり頭にたたき込まれてきて、心に余裕がないかなと感じた時に、ぜひ読んでいただきたいですね。

 読んでいくうちに、私たちは若々しい生命に接する仕事として、子どもたちとどのように暮らしていくかにつながってきます。子どもたちが「自分はこういうことを言ってもいいんだ」「この先生は、きちんと自分の話を聞いてくれているんだ」と、思えるように……。

「この花、どこに咲いているんだろうね?」って話したら、次の日は一緒に散歩に出て、「あの花が咲いてるね」と保育者が言えば、もっと保育に奥行きが出てくるように思います。
そのように考えていくと、まさに、この『保育に生きる  珠玉のことば』は、保育をしていくうえで、ずっと心に宿しておきたい本ですね。

荒井:私が初めて北欧に行ったのは、ずっと若い頃なんですけれども、向こうのキーワードは「聴く」でした。
日本と正反対だったですよ。何を子どもが言いたいのか、聴き取るのが会話の大前提だって。

 日本は、「言葉かけ」とばかり言っているでしょう。こちらのキーワードである「言葉」に対して、北欧は「会話」でした。そんなふうに最初に私に刺激を与えてくれたのは、スウェーデンの保育のガイドブックでした。日本でいう『保育所保育指針』ですが、「会話で一番大切なのは、よく聴き取ること」と書いてありました。

そして、『倉橋惣三選集』(フレーベル館)の中に出てきますが、倉橋は「言葉」と使わずに、「対話」と言っています。それは英語で言うと“dialogue” (ダイアログ)です。要するに、心と心のふれあい、知恵と知恵との“exchange”(イクスチェインジ)です。

 だから私は、保育界にはどーんと“会話”をもってこないとダメだと思っています 会話とは、心と心の絡み合いでしょう、結局のところは。

土橋:今の時代だからこそ、会話がより必要だと感じます。

荒井:戦前の母親は、ふすまの向こう側で赤ちゃんが泣いても、泣き声だけで、おむつが汚れたのか、お腹が空いたのか、熱があるのか、眠いのか、わかったようですね。これは、「聴き取る能力」ですよ。つまり、「耳で見るということ」ですね。

 

日本の保育界を、明るく楽しく

石井:保育者を目指して養成校に入ったはずなのに、実習をしたあとに、保育者を目指したくなくなったって帰ってくる学生も多くて……。
そこで尋ねると、保育者たちの心ない言葉や、子どもに対する暴言、保育者同士の陰口などが、嫌になった理由だと……。

荒井:イジメに近いですね。

 石井:実習は、「保育は楽しいな」って思って欲しいチャンスの場です。学生たちが夢見る保育の現場にそぐわない発言や、言葉の暴力みたいなものを学生には見せないで欲しいと思うことがあります。保育者の言葉は、子どもにとってはもちろん、学生にとっても、とても影響力がありますので。

 土橋:保育者側が楽しいと思うことが、とても大切かなと思います。まず、指導する保育者に余裕がないと、よい保育が伝わっていかないし、実習生に対してもよい指導ができないですよね。

 

荒井:保育者の予備軍は、養成校の学生です。その人たちが「保育の現場は麗しい職場」だと思えば、日本の保育界はとてもよいわけです。「あんな職場は嫌だ」って思われたとしたら、とてもまずい。それに、多くの学生はいずれ親になるだろうから、園にとっては未来のお客さんでもある。だから、日本の保育の評判をよくするには、「実習はたっぷりと楽しんでください!」というようにしていかないとね。
楽しむということは、何よりの“心のエネルギー”ですから。

(おわり)

撮影・編集協力/渡辺 悟